昔。

ある記事を見て共感した。


その記事には「貧困を隠して生活。」


と、あった。


でも、別にけいは貧困を隠して暮らす・・・


と、いうよりもこの生活はうちではあたりまえだと思って暮らしていた。


父が借金していたのが分かったのは小学1~2年生だったか。


どれくらいの金額は分からない。


返済はけいが高校生まで行われていた。


言葉は知っていたが、改めて国語辞典で調べた言葉。


母が「借金していて、大変なの。」


泣きながらけいに話してくれた。


どんな場面で、そんな言葉がでたのかは忘れてしまったけれど、


それまでの「借金」のイメージがテレビでしか知らないから、


怖い人相の人たちの借金取りがうちに来る・・・。


家に張り紙が張られる・・・。


借金取りが来たら、どこに逃げよう・・・。


など、子供心に考えてた。


そんなことがあってか、母親は私たち姉弟に


「手に職を持ちなさい。結婚相手に何があったら働けるように。」


が、口癖だった。


そのときの、けい姉弟のおこずかい・アルバイトは


学生でもできる新聞配達だった。


高校生になってからはマックやモスバーガーで働き


おこずかい稼ぎと、学校通学にバスを利用していたので


バスの定期を購入していた。


それくらいしか、母を助けてあげられなかった。


母の口癖のおかげか、けいは医療関係の職に就いた。


まぁ、それも色々あるんだけれど・・・。


妹は、障害を持っていて洋裁や料理教室、弟はエンジニアとなった。


父は若くしてそれも突然亡くなったので、


どうして借金をしたのか未だに知らない。


母親は知っているかもしれないけれど・・・。


亡くなったため、借金も返済がどうなったのかもけいは知らない。


母親も話そうとしないので、聞いていない。


あれから年月を経過して、


けいは父親の歳も越してしまった。


今年は、弟も父親亡くなった歳に突入する。


どんな思いだろう??


けいは、父親が大好きだった。


なんでも出来る、物知りの父親が大好きだった。


だから、憎んだりはしていない。


でも、亡くなる前に冷たい態度をとったことを今でも後悔している。


時々、夢に出てくれるけれど、


夢の中では死んだことは忘れているから


何も聞けず・・・。


目覚めて撃沈・・・。


親はいつまでも健在じゃないから、


なにか伝えたいことや聞きたいことは遠慮せずに


聞いておいたほうが良いとけいは思います。


けいも母親に聞きたいこと、教えてほしいこと


沢山(笑)


後悔のないように生きましょうね。


新型コロナや災害がいつ襲ってくるかわからない時代なので・・・。



徳永英明さんが好きな友人から、


レイニーブルーという品種の薔薇が咲いたと・・・。


ちょっと前の写真だから、時期がずれているかもしれませんが、


とても綺麗だったので、皆様におすそわけ( *´艸`)

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